私ライフ後編「きりのない物語」のはじまり。

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私のイマジネーションを飛躍させてくれた
ミヒャエル・エンデに愛をこめて。

今から私は、正直に、誠実に、ただいま私が陥っている状態から、そう遠くない未来に逆転復活するまでの模様を、ありのままに語っていこうと思っている。

でも、この話の中には、まだ私自身も把握しきれていない、とても珍しい病気の話が出てくる。

正確な情報だと保証できないまま発信することに、広告プランナーという職業柄、ためらいはあるけれど、それでも今の私の試行錯誤を含めて、お伝えしていきたいと思う。

だから初めに、こう断っておく。

「これから始める物語は、事実を基に構築されたフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」

これを真実とするかどうかは、受け取ってくださったあなたの判断に委ねるよ。
真実かどうかは、発信者じゃなく、いつでも受け取った側が決めるのだ。

過去は変えられないけど、今の状況を改善しようと考えて行動することで、悲しく切ない出来事さえも、ハッピーなエピソードの伏線に変えることができる。

だから、過ぎ去った過去を嘆くよりも、今の状況をよくする努力をしたほうが、はるかに建設的なんだよ。

ー広告プランナーひらまり 最後の名言

ではでは、はじまり、はじまり~
少々ドラマチックに、物語仕立てでスタート。

きりのない物語・第一幕「広告プランナーひらまり、最期の長い長いスピーチ 」

2024年12月16日。
その日、私はひとつのバッドニュースを受け取った。

「残念だけどね、あなたの病気は、かなりの難病だよ。難病中の難病。学会に報告するレベルの」

「今の段階では治療法もないし、正常な人の25%までに低下した腎臓の機能はもう回復しない。今できるのは、症状の進行を食い止めることだけなんだ」

……。

明るい蛍光灯に照らされた、清潔な診察室。
主治医のアベ先生の言葉を聞きながら、私はポカンとしていた。何年もこの病院に通っているけど、聡明でユーモアのあるチャーミングな先生が、少し困った顔をしてる。先生のこんな顔を見るのは初めてだった。

ドラマや映画でよく見るシーン。
突然の宣告に涙を流したり、取り乱したり、よろめいたり。

でも、実際に体験してみると、現実はちょっと違うのだ。

なぜそう言えるかというと、実は今回で3回目だから。
私にとって「病院での重大な宣告シーン」はね。

第1の宣告:27歳の時

調子の悪かった夫が病院に行った日。
夫からは何の連絡もないまま、病院から大至急こちらへ来るようにと電話がかかってきた。
呼び出された私は、2歳にも満たない息子を抱えて、
「家族相談室」という名前の部屋に通された。

医師が深刻な顔をして、こう言った。

「ご主人は悪性の急性骨髄性白血病です。ドナーを見つけて骨髄移植をしない限り、生存確率は10%です。今の状態だと、あと数日の命かもしれません。」

……え? なに?なんて?笑。

私は何も分からないまま、ひきつった笑顔で固まってしまった。
「数日の命」以外、先生の言っている言葉の意味すら分からなかった。

この瞬間から世間知らずの若奥さんはなんだか分からないまま、怒涛の闘病生活に放り込まれることになり、プランナーとして独立するまでに数々のドラマがあるのだけれど、

でも、これはまた別の物語。この話の続きを始めるときりがないので、今は、今日の話をしよう。

第2の宣告:40歳の時

フリーランスの広告プランナーとして独立した私は、順調に仕事を受けてキャリアを進め、会社も法人化した。会社と並行して雑貨店とカフェもオープンさせ、最盛期のスタッフは女性ばかりで6人。

とても賑やかで楽しい職場だった。私はスタッフみんなのことが大好きだったし、スタッフも私のことを尊重してくれていて、私ライフの中でも、なごやかなムードの中、キラキラした華やかなシーズンだった。

そんなバックグラウンドで全国を舞台にわりと華々しく活躍していた私は、ある出来事がきっかけで脳が突然フリーズして、物事を考えることが出来なくなる。

瞬く間に壊れていった私は、靴下さえ自分で履けなくなってついに諦め、泣きながら病院に行った。
精神科の先生がこう言った。

「今のあなたは脳の機能障害を起こしています。重篤な状態。今すぐすべての仕事をストップして休んでください。」

……私は脳が壊れていたせいで、先生の話をボーっとしたまま聞き、
半年先まギチギチに埋まっているスケジュール帳を思い浮かべ「休むなんて無理だよ」と思いながら、ただうなずくしかなかった。

回復した今も、私には記憶障害が残っている。それを抱えたまま、プランナーの仕事に復帰するまでに発病から約7〜8年に及ぶ試行錯誤があるのだけど、

でも、これはまた別の物語。この話の続きを始めるときりがないので、今は、今日の話をしよう。

そして今回、3度目の宣告。

そして今回もやっぱりポカンとした私は

「……はぁ、難病、ですか」

くらいの返事をしたと思う。
その突きつけられた事実の困難さに、私が気が付くのは、もう少し後になるのだけど。

悪いことが起こった時、落ち込むのはしょうがないよ。でも考えることで切り拓ける道も出てくる。

自分が現在、難病にかかっている、しかも不治の病である、しかもしかもかなりデンジャラスな状態、うっかりすると死ぬかも、ということを理解するまでに2週間くらいかかったと思う。

それでも下調べが命のプランナーの性として、その病気について調べ始めた。人間が出来ていない、人としての器がスーパー・ミニマルな私は、いちいち衝撃を受けたり、がっくり落ち込んだりした。

そして今も調べて続けてはいるものの、私が何をどうすれば回復するのか、その答えは見つかっていない。

でも、これらの話をここに書いたのは、私の人生はこんなに大変だったんだよ、今もそうなの、私って可哀そうでしょう?とか言いたいわけではない。

私は自分から進んで過去の話をすることはないのだけど、別に隠してもいないので、話のついでで話した人には時々「波乱万丈だったんだね」「可哀そうに」と気の毒がられることがある。

でも私は自分のことを可哀そうだと思ったことはない。これまで困難に遭遇しても、「考えて動く」「試行錯誤と工夫」「実験と検証」「臨機応変」でなんとかクリアしてきてしまったので、今回もサバイバルしていけるのではないかと思っている。

根拠はないけど、私はたぶん大丈夫。

それは病気が治ると無意味に信じているということではなくて、それでも私はなんとか楽しくやっていける、と今はなんとなく思っているのだ。

この病気にかかったことで、私は今後のビジョンがいきなり不透明になり、人生の方向性を見直さなければならなくなった。

12月16日から年が明けて2025年のお正月は、ガックリと落ち込んで寝込んでいたけど、寄り添ってくれる人の支えもあり、少しずつ落ち着いて、1月中旬からどうすればこの状況が改善できるかを考え始めた。

考えることは私にとって、何よりも特別な行為だ。自分の身を立ててきた生業でもある。考え続けているうちに私は、周りの支えをエネルギーに徐々に立ち直っていき、2月2日節分の日、豆まきをして恵方巻を食べながら、ひとつのアイデアをふんわり思い付いた。

そのアイデアはとても荒唐無稽だったが素敵に思えたし、同時にその荒唐無稽なアイデアに縋るしかないくらい、私は負い詰まってもいた。

そして私は迷いながらも、自分の心を固めていき、
「人生見直しついでに、なんならもっと派手に行くかー、そうだね、そうしよう!」と決意した。

2月2日から今日まで20日間。私はその自分の中に沸いたアイデアをふくらませて推敲し、広げ、さらにアイデアを追加しながら必要な情報を調査し、段取りしながら、いつものようにプランナーとして暗躍して過ごしてきた。

いつもと違うのは、そのプランを提供する相手が、クライアントではなく、自分だということだ。プランナーの私の企画を受けたプレイヤーの私は、本日22日より、その企画を実行に移すことにする。

私が大好きな皆さんに、ちょっとでも楽しんでもらえるように。
こんな、ごちゃまぜスーパーMIXな私を、少しでも理解しようと努め続けてくれる大切な人のために。
そして何より、私自身のために。

人生は、誰もが主人公で、プランナーで、プレイヤーだ。

私の考えたこと、行動の記録が、誰かの支えになればいいなぁ、と思い、この物語を書き始めることにした。

お時間のある方は、私の成り行きを見守っていただけたら幸いだ。

私に関わってくださった皆さんへ。また、これから関わってくださる皆さんへ。

とはいえ、私はこれまでの人生で、自分だけの力でどうにかできたことは、ほとんどないような気がする。

ひと1人にできることなんて、たかが知れているのだ。

これまでの私がしてきたのは、「考えて」「決めて」「行動」したことだけで、あとは私が出会ったたくさんの方々に助けられて現在に至っている。

筋金入りのへなちょこであったがゆえに、自分のできる範囲を過信せずにいたことが、結果オーライになっているような気がする。

今回もそうだ。

2月2日から今日までの20日間、私は考えながらあちこち調査に動き回り、考えながら段取りして、考えながら走り続けた。
力が入らず動かない体を、サポーターでぐるぐる巻きにして、時には最近手に入れた新アイテム、杖をついて。

たくさんの人が知恵を貸してくださり、力を貸してくれた。初めて出会ったのに、親身になって相談に乗ってくれ、事態を打破するアドバイスをくださった方もいた。また、アベ先生、ミサ先生初め、私の治療に尽力してくださるスペシャル医療チームが、私を手厚く看護してくれている。

こんな弱々な私に、温かく手を差し伸べてくださった皆さん、本当にありがとう。図々しい私ときたら、これからもいろんなことをお願いしてくるかもしれませんが、どうかなにとぞ、力を貸してください。

また、これまでの私ライフで関わりのあった、私が信頼して尊敬する大好きな皆さん、そしてこれまでに私が、「あ、この方とお仕事してみたいなー」と思った皆さん、そのうちお願いに参上することがあるかと思います。
その折は、どうぞよしなに。

もう先にお礼を伝えておきます。
本当にありがとう。

そして予告。私ライフ後編、シーズン2の幕開け。

さて、この記事を更新して、私が考えた企画を順番に実行し始めることにする。
その企画とは……、この続きはまた今夜に。

私が何をしたいかということだけ伝えると、

私はこれまで22年間やってきたように、胸躍るワクワクや心ときめくささやかなしあわせを探しては見つけ、みんなに伝えたいのだ。

そして、座右の銘に「一石二鳥」を掲げる私は、
ついでに、

たくさんのクリエイターさんや、メーカーさん、私がお世話になった方と一緒になっていろんなプロジェクトを作り、みんなが楽しくハッピーな状態で仕事ができるような仕組みを作っていきたい、と考えている。

そして日本文化を愛する私は、勝手に自分のミッションだと思っている地域の活性化にもつながるような企画も実現しようと画策中で、もうこちらは既に行動を始めた。

それらを記録していこうと思い、新しく作ったこのサイト。時間が無さ過ぎてワードプレス入れるとこまでが限界で、体裁も整えてないし、基本設定もしてない。プロフィールなんかの基本情報も入ってない。
私が実現したいプロジェクト、大好きな方々から依頼されているお仕事、そして難病初心者ゆえにさまざまな試行錯誤で、時間がどれだけあっても足りないのだ、今。

この記事にもう少し昔の画像とか入れたかったけど、今日までのてんやわんや20デイズで、もうエネルギー切れ。またにしよう。
でもいいや、なるようになるね。私、最善を尽くしたもん。

この後は、ひとまず、とりあえず泥のように眠る。
そしてゆっくり起きたら、今日のお昼過ぎに、ある重要な任務を遂行する。そのあと、夜22時22分に、この続きを書こうと思う。

どうして「22」にこだわっているかって?
ナイス質問だー

それはね、今日が2月22日、ニンニンニン、で忍者の日だからだよ。

(タイミングって、ことの成り行きを左右するすごく大事な要素だからね。このタイミングに間に合わせるために私は必死になって駆け回ったよ)

私は舞台裏で作戦を練り、工作し、暗躍することを生業としているプランナー。常々、現代に生きる忍者だと思っている。

人生100年、それを半分も過ぎたのに、自分のことを忍者だと言っている私を「バカだなー」って笑ってもらえたら、それでいい。

プランナーの私は、「おもしろくて愉快な」「ワクワクと胸躍る」「心がときめく」ショーを魅せることを生業とする演出家、ショーマンでもある。
だから、笑ってもらえたら、もうそれだけで充分うれしいのだ。

まもなく2時22分。

この記事の更新ボタンを押し、最初のドミノを倒して、この「きりのない物語」を始めることにしよう。

さてさて皆さん、お立会い!
今からお目にかけまするは
広告プランナーひらまりプレゼンツ
皆さんがワクワクするような
新プロジェクトを始めるよの巻でござる

 細工は流々、仕上げはリアルタイムで御覧じろ
 お付き合いいただけましたら、ありがたき幸せ

では、準備万端(じゃないけど、だいたい)
整いまして、
ただいまワタクシ、大風呂敷を広げまして御座い~。

これにて広告プランナーひらまり、
舞台裏へとドロンと消えるでござる。

あとは野となれ、山となれ。ケ・セラ・セラ。

追記:2月22日、22時22分の投稿👇

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